To be or not to be,that is the question.(生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ/William Shakespear『Hamlet』)
果たして幸村は人生で一度でもハムレットのような心境になったことがあるでしょうか?・・・筆者は無かったと想像しています。あるいは、あったかもしれません。(そういえばシェイクスピアは幸村と完全に同時代人ですね)。
幸村が晩年を過ごした九度山は真言密教総本山の高野山・金剛峰寺のすぐそばですが、幸村は真言宗の影響を受けたでしょうか?筆者は浅学にして真言宗のことを知りませんが、開祖弘法大師(空海)の伝記ぐらいは読んだことがあります。その印象では真言宗は現世利益を説くものでしたが、もしそうだとしたら幸村は余り真言宗の影響を受けていないのではないかと思うのです。
真田氏は、当時の武将の多くが曹洞宗だったように、宗派は曹洞宗だったかと思います。だからというわけではないのですが、その人となりに禅のような人生を達観したイメージを受けます(間違っていたらすみません。特に調べていません。ついでですが、西郷隆盛も禅の影響を受けていますね)。潔さとか爽やかな風韻を感じるからです。そういえば、長野県には今でも真言宗や禅宗(曹洞宗や臨済宗)が結構ありますが、これらは幸村の時代からでしょうか?(もっともこれは長野県に限ったことではありませんね)。あるいは、越後の上杉氏のところや京都で青年期を過ごしたりしたので、当時既に完成されていた能の世界観に影響を受けていたのでしょうか?(この推測には全く根拠はありません)。
同じ戦国時代の武将でも幸村は他とはやや異なる感じです。福岡・黒田家を放逐された後藤又兵衛(大坂の陣で一緒に戦った)と似てなくもないけれど何か違う。傾奇者で有名な前田慶次とも違う。若様育ちのせいかもしれませんが、単なる英雄豪傑の類いではなく、何というか文学青年だったような雰囲気を漂わせているのです。他方で、春風駘蕩としているのに戦国武将の熱い血のようなものも感じる。といって「名こそ惜しけれ」の鎌倉武士のイメージとも違う。何か上品な紳士のような匂いを感じるんですね。これは筆者だけでしょうか。
前回筆者が幸村を世界史的なヒーローたちと比べても見劣りしないといったのには、幸村の戦歴よりも、何か一本芯が通った精神性といいますか、世界に通じる真の勇者のような存在感を幸村に感じるからです。
ここまで書いてきて、第1回目に書いた日本人の判官びいきのために幸村は人気がある、だけではないなと改めて気がつきました。勇猛果敢さだけではない、もちろんお涙頂戴的な人ではない、悲劇のヒーローではない、やはり幸村その人に決定的な何かがある。こういうのを「武人」というのでしょうか?
幸村は小大名で機会がなかっただけかもしれませんが、およそ残虐めいたことをしていない。武田信玄はもちろん、正義の味方っぽい上杉謙信だって、わりと残酷なことをしていますが(寺や村の焼き討ちとか)、それらに比べると幸村はクリーンなイメージですね。
文学青年だけどハムレットのようにウジウジしない。逆境には逞しく耐え、いざ勝負の時には命を惜しまず超人的な活躍を見せる。幸村には何か浮世離れした強さを感じます。(一面だけ見れば、映画『ロッキー』や『ダイハード』などを好むアメリカ人などにもウケそうですね)。
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