戦国時代には農業生産力が飛躍的に伸び、人口は増え、近畿圏などは世界有数の人口密集地帯だったようです。また、鉄砲の数ではヨーロッパ諸国を圧倒していましたし、安土城(あづちじょう)のような巨大な天守閣をもつ城も築かれるようになりました。1580年代初頭の織田信長の絶頂期の頃には日本は世界でもトップクラスの経済大国かつ軍事大国だったわけです。
戦国時代というと骨肉相食む血生臭いイメージがありますが、人間一人一人のエネルギーがほとばしり、活力に満ちていたという面も見逃せません。能や華道、茶道、絵画、舞踊といった文化の面でも後世に大きな影響を与えたものがこの時代に花開いています。
では、本ブログの主人公である真田幸村が活躍した頃、そして幸村の最期の頃はどのような時代だったのでしょうか?
1590年代になると豊臣秀吉が天下を統一し、秀吉の死後、1600年の関ヶ原の戦いを経て、徳川家康が江戸幕府を設立します(1603年)。これ以降は、鎖国と安定の江戸時代に入っていきます。士農工商のように身分は固定され、海外との交易も制限された非常に窮屈な世の中になっていったイメージがあります。
そして、豊臣方と徳川方の最後の決戦である大坂の陣を迎えます。
ここが幸村の人生最後の活躍の舞台でした。1615年の大坂夏の陣を最後に、武将どうしの大きな戦は日本ではなかったので、いわば「戦国時代の総仕上げの合戦が幸村の最後の仕事」だったわけです。(1637年の長崎・島原の乱も大きなものでしたが、これは戦国武将どうしの戦いではなく、圧政にあえぐ民衆と、弾圧されていたキリスト教が一緒になった民衆反乱の色合いが濃かったようです)。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に代表される戦国から江戸にかけての時代変遷は、人生にたとえれば、青年期から壮年期、老年期に当てはまる感じがします。そして、幸村は、時代の青年期に生まれ、壮年期から老年期に活躍したと思います。本人がどう思っていたかは知る術すらありませんが、心身ともに充実し、それなりに満足した人生だったのではないでしょうか。
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