戦国時代の頃までは木綿は貴重品だったそうですね。中国の明などから輸入していたのではないかと思います。それが、戦国時代から日本国内で綿花の栽培が広まり、江戸時代になると全国に普及して庶民の衣服にも使われるようになったようです(それ以前は麻服ですね)。
真田氏は真田紐を製造販売して利益を上げていたという話がありますが、真田紐の素材は木綿ですね。ということは、真田氏は今でいう高級品の製造・販売をしていたわけです。こういう点でも、真田氏は時代の先端をいっていたんですね。
ところで、真田氏の故郷の信州・上田市には、信州大学の繊維学部があります。その昔、繊維産業が花盛りし頃は、日本全国から学生が集まったそうですし、現在でも、大手繊維メーカーが研究拠点をもち、大学と共同研究をしています。最先端素材のカーボンナノチューブなど世界最先端の研究をしています(もっともこれは長野市にある信州大学工学部の方が有名ですが)。まさか真田紐の伝統があったから信州大学に繊維学部が創られたわけではないでしょうが、そう考えてみれば何となくロマンチックな感じがします。
ついでですが、戦国時代末期までは、油といえば荏胡麻(エゴマ/シソ科の一年草)油で、油売りから美濃一国の主になった斎藤道三が売っていたのも荏胡麻油だったようです。それが、戦国時代も末期になると、菜種油が普及して、こちらの方が効率良く油が取れるから、荏胡麻油は急速に姿を消したそうです。
木綿といい、菜種油といい、幸村が生きた時代は、素材革命やエネルギー革命が起こっていたわけです。
同時に、戦国時代から江戸時代初期までは高度経済成長の時代だったようです。農業生産高も増えるし、人口も増えるし、いけいけドンドンの時代で、幸若舞が流行したり、風変わりな服装をする傾奇者が登場したり、風俗的にも新しいものが出てきておもしろい時代です。奥州・仙台の伊達家の軍隊がきらびやかな軍装で京に入り、「伊達もの」という言葉が生まれたのもこの頃ですね。
当時の人口はおおよそ3千万人で、鎌倉時代初期が約1千万人だったようですから、400年間で3倍くらいに増えています。人口増加は人の気持ちに活気をもたらしますから、幸村もそうした世相の影響を受けたのではないでしょうか。
ちなみに、江戸時代260年間を通じて、日本の人口はほぼ一定で約3千万人だったといいますから、1615年の大坂夏の陣以降は、沸騰していた時代は終了し、いわゆるゼロ成長時代に入ったわけです。
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