観音霊験記に、武田信玄にまつわる話が出てきます。十四番札所今宮坊の額絵です。「武田信玄は配下の失敗をこの寺の霊験にて許した」とあります。
霊験記でエピソードを読むと、
武田信玄の家臣山県昌景の組頭である石原宮内(くない)は、兵法に詳しい者であったが、時田(常田)合戦のとき、指揮を誤り態勢が悪くなってしまった。信玄は怒って介入し、すぐに兵を立て直して最終的に勝利をおさめた。しかし後日、石原宮内は「私の陣備えでも負けることはなかったのに、信玄公は短気を起こして介入した」と人に語っていたのが信玄の耳に入り、信玄はたいそう腹を立て、「たとえ漢の陳平・張良ですら用兵を間違うことはあるので咎めはせぬが、不要に主人を中傷するとは不届き千万」と死罪を命じました。
熱心な観音信者の宮内は、翌十八日が観音の縁日なので、その日に死ぬのがせめてもの救いであると覚悟し一心に念じていたところ、その夜信玄の夢に小坊主が現れ「私は今宮坊の観音の遣い、宮内をどうか助けるように」というので、仏を感じた信玄は急ぎ山県に命じて宮内を助命し、そのうえ側近に取り立て褒美まで与えた、とあります。
用兵の失敗は責めないが、オーナー批判は許さない信玄はもっともです。これではこの人は今後も信玄より観音様を大事にしてしまうでしょう。絵では信玄に宮内が怒られているようにも見えますが、上衣の紋から山県昌景で、信玄からの褒美?!の太刀(武田菱入り)を授けているところです。
チームTAKEDA(何じゃそりゃ!)のTシャツ販売のページに武田家臣団の家紋が出ています。
武田信玄の軍は永禄12年(1569)、秩父に侵攻し寺社に火を放ちました。前回書いた三十三番札所菊水寺のほかに、今も秩父の中心とも言える秩父神社(写真)をはじめ多数が焼かれ、秩父の民は非常に恐怖したとの記録があります。
天文23年(1554)武田・北条・今川の三国同盟が成立して以来、武田は北信への侵略に集中し、川中島の戦いなどを引き起こしましたが、永禄3年(1560)桶狭間の合戦で今川義元を失い、その後弱体化した駿河に武田が攻め入り、三国同盟も反故になりました。北条とも戦火を交え、永禄12年(1569)鉢形城(埼玉県寄居町)や小田原城などとともに、北条支配下の秩父も戦場と成りました。
信玄餅、信玄堤、信玄袋、信玄味噌、役に立ちそうなものばかりですが、「信玄焼き」は秩父の民の恐怖の記憶です。
<つづく>
【最近読んだ本】7
「洗脳 地獄の12年からの生還」 講談社 Toshi
先日MステでX JAPANが演奏するのを見ていました。これは洗脳騒動のX JAPANのToshiが書いた本ですが、人気絶頂のパフォーマーに後から忍び寄り、「洗脳」と言いますが、12年も行動、金銭を支配できる関係を作り上げることが可能なのです。人間の「信じたい心」がより悪い方向へ導いていく物語です。Toshi自らが、自分の弱さを見つめ、「妻」の姿をして現れた、洗脳集団ホームオブハートの残忍な手口のすべてを赤裸々に語る本です。
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