皆さん。こんにちは。
今日の信州長野県は雪景色です。
私も朝起起きてびっくり…!一面冬化粧といった感じでしょうか。
先日は、長野県の南部地域で22度を観測した言っていましたが、こうも気温の差が激しいと体調管理に困りますね…。
というのも、咳がなかなか止まらなく…困っています。
さて、今日は上杉謙信の養子についてお話ししたいと思います。
上杉謙信は「女犯」を起こさなかった。一生独身の偉人は多いが、戦国大名では珍しいですね。
謙信は7歳で父を失い林泉寺に入って修行します。その時、毘沙門天に心を惹かれます。
さらに真言密教にも深く帰依しており、その真言密教には「即身成仏」のためには戒律を犯してはいけない(邪淫戒…女性をおかしてはいけない)という教えがあった。
俗説ではあるが、謙信が生涯に愛した女性は3人いるという。
・直江景綱の娘
・近衛関白前久の娘の絶姫
・関東の千葉采女の娘の伊勢
です。
直江景綱の娘は謙信の侍女で、謙信と別れて尼になります。絶姫は若くして死亡した。伊勢は政治的な判断で別れさせられたらしい。
一生独身主義の謙信にも3人の息子がいる。3人とも養子だ…。
・喜平次景勝
・三郎景虎
・上条政繁
です。
喜平次景勝は与六兼続の主人ですね。
三郎景虎は小田原城主北条氏康の七男として生まれる。氏秀、国増丸、三郎と称した。1570年、上杉謙信と北条氏康が和睦する。その時、人質としてやってきたのが景虎です。後に、景勝の妹を妻に迎える。謙信としては、景虎を関東管領の「後継者」として考えていたらしい。
もう一人の上条政繁は謙信の養子であるが、後継者ではない。能登守護畠山氏の出身だ。1571年、19歳で上条上杉氏を相続する。「御舘の乱」では景勝に味方し軍功をあげた。しかし、その後離反して、家康の食客となりました。
それではまた。
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