みなさん。こんにちは。
今日の信州長野県は晴れ渡っており、気温も10度と信州の冬にしては温暖な気候です。
さて、今日は「直江兼続」はいつの時代?ということに関してお話ししたいと思います。
●戦国時代を生き抜いた…。
直江兼続は戦国時代の武将です。戦国時代を「応仁の乱(1467年)」~「大阪夏の陣(1615年)」と考えます。直江兼続は1560年~1619年までを生き抜きました。
1560年は大きく時代が動き出した年でもあり、「桶狭間の戦い」がこの年にありました。翌年には、「第4次川中島の戦い」が行われています。
兼続が使える上杉家では、南下政策が始まった年になります。
関東の国人衆が北条氏に攻められて、上杉家から謙信に援軍要請がありました。謙信も関東地域を支配下に収めたいと前々から思っており、そこで謙信は関東進出(南下政策)を始めます。
関東侵攻は、全部で13回行われており、圧倒的に10月と11月が多いのですが何故だか分かりますか?
それは、夏は兵は農業で忙しく、9月に収穫が終わります。真冬は雪で三国峠が通れなくなるので、進軍は10月、11月に集中したそうです。
1651年、謙信は関東管領上杉憲政を擁して、上杉10万軍で小田原の北条氏を攻めます。
北条氏の居城「小田原城」は落ちなかったが、この時、謙信は鎌倉鶴岡八幡宮で関東管領に任命されました。
また、山内家の「上杉」を名乗り「上杉政虎」となります。これまでは、「長尾景虎」でした。
「謙信」は晩年の名前になります。
というように、直江兼続は戦国時代の中程から終わりまでを生き抜いた武将です。
戦乱の世で「義」を貫き通した男です。
続きはまた次回で…。
それでは。
What do you think?