長野県善光寺御開帳2015へ行ってきました。 番外編

By izumi, 2015年7月6日


こんにちはながのモール事務局のFです。長野市善光寺の御開帳2015へいった際、善光寺界隈で気になる場所を見つけたので、「ながのモールマガジン」に記録を残します。時期外れの投稿となりまして、恐縮です。

まず初めに、長野信用金庫 大門町支店の中央通り側のディスプレーに、こんな写真が展示されていました。写真の見出しには”ご開帳でにぎわう江戸時代の善光寺境内”とあります。

こちらのディスプレーは、「長野郷土史研究会」が3カ月に1度展示物を変えているそうです。今回紹介している写真は2015年4月から6月まで展示されている内容の様です。

仁王門から山門まで、ご開帳で大賑わいです。仮店、芝居小屋、見世物小屋が立ち並んで、図解されていてとても分かりやすい!!善光寺の歴史が分かりやすく展示されています。

 

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他にも善光寺に関するサイトを見つけましたのでご紹介します。

▽ 絵解きで伝える善光寺参り
▽ 善光寺の世界遺産登録を進める会

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そして、長野信用金庫 大門町支店の(参道沿いに)すぐ隣に、熊野神社があります。「熊野神社由緒」の全文など、詳しい情報は次のリンク先サイトにも掲載されています。

▽ 個人ブログ
▽ 週刊長野

熊野神社の神使”八咫烏”(やたがらす)は、昔神武天皇が東方に都を作ろうと旅に出たときの話に登場しております。
また、”八咫烏”(やたがらす)が日本サッカー協会のエンブレムになった由来も諸説あるようです。

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**** 全文 ここから ****
熊野神社由緒
中世より門前町・宿場町・市場町の三要素を含み、善光寺参詣者と近郷の人々の経済・消費の町として発展を遂げた大門町(南方)の先人達は、この町の守護神として「熊野神社」をお祀りして、家内安全・商売繁盛・開運・厄除けの御利益を頂戴して参りました。
御本社は和歌山県の熊野三山(本宮大社・新宮大社・那智大社)です。「クマノ」とは奥深い神秘の霊地という意味で、奈良時代には山岳信仰の聖地として、平安時代らは「蟻の熊野詣」と言われる程、皇室から庶民まで引きも切らない参拝者の列が続いたと伝えられ、熊野信仰は特に浄土信仰と結び付き、死後の幸せを願う教えをこの地で行を重ね全国に布教した、熊野御師(おし)・熊野比丘尼(びくに)の活躍により全国に浸透し、分社は三千を越えます。
尚、熊野三山の神使は三本足のカラス「八咫烏」(やたからす)と呼ばれ、信者を目的まで導く神様で、日本サッカー協会のエンブレムにもなっています。
当社の例祭日8月17日は、長野の町で一番早い秋祭りとして広く知られており、本殿下には神聖な「神護石」があります。

御祭神
家都美御子大神(けつみのみこおおかみ) スサノオノミコトの別名
速玉之男神(はやたまおのかみ) イザナギノミコトの御子
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ) イザナミノミコトの別名

******* ここまで *****

今回の善光寺御開帳で、善光寺界隈のさまざまな歴史に触れ、地元に生活しながらも今まで知らない事をたくさん知る事ができる、思い出に残るご開帳となりました。次の善光寺ご開帳は2021年です!!


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