幸村の情報戦

By kakizaki, 2014年10月16日


いつの時代にも、戦争には情報収集や敵への情報攪乱がつきまといます。

真田家の場合は、一説には、真田紐を配下が諸国に売り歩き、収益と同時に諸国の情報を収集していたといいます。播磨の黒田家(黒田官兵衛の家)が自家製の目薬を売り歩いて収益と情報を収集していたのに似ていますね。売れる(多くの人が欲しがる)商品があれば、怪しまれずに敵国の状況を見て歩けますし、売れるのですから軍費も調達できるわけです。まさに一石二鳥ですね。

また、商売をすることで商品経済にも明るくなります。商品経済は自由で合理的なものですから、柔軟かつ合理的な思考も養われたでしょう。幸村が、たとえ相手が大軍でも負けなかったのは、冷徹に現実を見る目があったのと、自由な発想ができたからだといえると思います。

それはともかく情報戦といえば忍者ですね。幸村の配下には猿飛佐助霧隠才蔵といったスーパー忍者がいます。佐助は甲賀忍流のスター、才蔵は伊賀忍流のスターで、まるで幸村が日本中の忍者の大元締めみたいで、これだけの配下を持っていたら情報戦や敵の後方攪乱なんか朝飯前といった感じがします。

しかし不思議なのは、甲賀や伊賀の忍者は「忍びを稼業」にしていたプロで、金さえもらえばどの大名にも味方したわけで、昨日は上杉に味方していたと思えば今日は武田に味方してもおかしくない集団なのですが、幸村に対してはそういうことはなく一途に忠誠を誓ったことです。

上杉氏の軒猿、北条氏の風魔なども有名ですが、これらは大名のお抱え忍者集団で、抱えるだけの財力を上杉氏や北条氏は持っていたと思うのですが、信州の小大名に過ぎなかった真田氏にはそれほどの財力もなかったわけですから、本当に不思議です。佐助や才蔵は幸村に抱えられるというよりも、むしろ彼らの方が自発的に幸村を支えたといった感じさえします。敗軍の将で九度山に長年幽閉されていた時も、彼らスーパー忍者が幸村を支えている。まるで教祖様に仕える信徒のようです。どうしてこういうことが起こったのでしょうか?

忍者の話はあくまで作り話なんだから真面目に考えても仕方ないかもしれませんが、こういう作り話が生まれるところに幸村の幸村たる所以があると思うのです。

リンクページはWikipediaを利用しています。


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