善光寺の地震と大なまず

By matchy, 2014年10月7日


去る2014年9月27日のお昼頃、長野県と岐阜県にまたがる御嶽山が噴火し、多くの尊い命が失われました。先日書いたとおり、来年行われる善光寺御開帳の話題を書くとしておりまして、どこかのタイミングでその昔の御開帳の開催期間におきた、善光寺地震についてお話ししようと思っていたのですけれども、このタイミングがいいのか、それともまたいずれとしたほうがいいのかと迷っているうちにしばらくたってしまいました。

善光寺地震とは、明治維新の21年前である1847年の善光寺御開帳が開催されているまさにその時に起きた大地震でございまして、マグニチュードは7を超えたと考えられているようです。

諸国からの参拝客でたいへんな混雑だった善光寺門前の宿坊・旅籠 (はたご) に直撃しまして、あがった火の手は3日も延焼したとか。

そればかりか、各地で山崩れがおき、なかでも先日話題にしました山姥の住む虫倉山とそのおとなりの岩倉山が崩れた土砂によって、戦国の古戦場として有名な川中島あたりに巨大な天然ダムができて一帯が水没、さらにそのダムが決壊して大洪水が起きたりと、最終的な犠牲者は1万人にもおよんだとか。

先の震災やこの度の噴火でも、皆様テレビ等の報道をご覧になって、大変お心を痛めていらっしゃると思います。

当時のひとびとも同じでございまして、それこそ日本全国から善男善女が大イベントに集っていたまっただ中に発生したわけですから、日本中でこの災害の様子を伝えるかわら版が飛ぶように売れたそうでございます。

そしてそれらのかわら版に、このように善光寺本尊大なまずのばけものを退治する絵がさかんに描かれたのだそうです。

善光寺と大鯰

やりきれぬ思いをばけものに託し、それを退治する風刺画をせめてもの慰みとした当時の人々の叡智でありましょう。そしてこのような、地震の際の大なまずのばけものを描いた「鯰絵」は、善光寺地震でもちいられたのをかわきりに、その7年後からそのまた翌年にかけて日本全国で連発し、江戸をはじめ各地で未曾有の被害となった安政の大地震でも数多く描かれ、広く配布されたのだそうでございます。

中には被災地でボランティア活動を行う擬人化なまずを描いた「世直し鯰の情」や、復興による特需に沸く大工さんたちにえびすさんと一緒に小判をまくなまずの絵など、こっけいなものも少なからずあったようで、これもまた暗いニュースの中で少しでも気を紛らそうという思いがおばけとなってあらわれたものなのでしょうね。

最後になりますが、今回の災害によって被害に遭われた方々とそのご関係の皆様、そして本件に心痛める全国の善男善女に、1日も早く平穏が訪れることをお祈りするばかりでございます。

大なまずの絵ほど愉快なものは書けませんでしたが、せめてものお慰みとなれば。


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