当時の会計システムは?

By kakizaki, 2014年12月26日


現代の企業会計では当たり前の複式簿記ですが、一体いつ頃、どこで発明されたのでしょうか?

一説によると、複式簿記はイタリアのベニスの商人が16世紀頃に発明したそうです。地中海の海上貿易で巨万の富を得ていたのがベニスの商人たちですが、船は難破したり海賊に襲われたり、事故がつきものですから、保険をかけていました。また、船便には人手や食料、関税など結構な費用がかかります。そこで、多くの人から金を集めて運営していました。ですから当然、金利負担もあったわけです。船という資産(これは減価償却の対象)もあれば、金利をともなう負債もある。ですから、それまでの単式簿記(家計簿やこづかい帳みたいなものですね)では上手く会計処理ができません。それで、誰が発明したかはわかりませんが、複式簿記が誕生したのだそうです。貸借対照表(B/L)損益計算表(P/L)の原型もこの頃にできたわけです。
これは大発明だと思います。会計システムが刷新されたことで、資産の状況と損益が明確に把握されるようになり、商売が格段にやりやすくなったわけですから。

ヨーロッパは進んでいましたね。
しかし、日本でも戦国時代頃から急速に会計システムが整備され始めたそうです。惜しくも複式簿記の発明にまでは至りませんでしたが、1600年の関ヶ原の戦いの頃には、複式簿記の一歩手前(どんなものか知りませんが)までには至っていたようです。(能吏で有名だった石田三成なんかは会計は得意だったんでしょうね。)
1590年代の豊臣秀吉の朝鮮出兵や関ヶ原の戦いでは、数十万人の兵士が移動したのですから、それに必要な兵糧などは莫大なものだったでしょう。事務方の経理処理も大変だったと思います。また、一大名が自腹で何でも調達できたとは思えず、堺の豪商たちに金を借りたり(多くは献金させた?)、支払を後回しにする信用買いもあったのではないでしょうか。ですから、ヨーロッパと同様に、それまでの単式簿記ではとても窮屈でやりにくかっただろうと想像します。ただ、資産管理はそれほど求められなかった気がするので、複式簿記に至る必然性まではなかったのかもしれません。

幸村は、軍師としての評判も高いですから、当然、金のやりくりにも精通していたでしょう。一体どんな帳面をつけて、どんな会計処理をしていたのでしょうか?監査なんかはあったんでしょうか?

話は逸れますが、徳川家康はケチで有名だったそうですね。江戸幕府も盤石になった晩年のある時、鼻水をかむために取り出した懐紙が風で飛ばされたので慌てて追いかけたところを腰元たちに笑われ、「そこもとたちは笑うが、わしはこれで天下を取ったのだ」と言ったといいます。
また、黒田官兵衛は関ヶ原の戦いのときには九州にいたのですが、関ヶ原の戦いが始まったと聞くと、貯めに貯めていた銭を広間にぶちまけて「この金で合戦し、まずは九州を切り従える」と言い、実際にあっという間に周辺の豪族たちを打ち負かしたといいます。
幸村も蓄財には抜かりがなかったに違いありません。もっとも、大坂の陣の際は、軍費は豊臣氏から支出されたようですが。


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