観音霊験記 <秩父札所 5>

By hebizo, 2014年12月18日


ながのモールの皆様のブログ、興味深く拝見しております。全部合わせても地図上ではそんなに広くないのですが、内容に厚みが増してきているように感じます。

秩父札所のお寺には、お堂のどこかに「観音霊験記」の額絵が掛かっています。色使い、構図も魅力あふれ、ついこの絵を探したくなります。 itae04

だいたい観音堂の外壁に掛かっているのですが、たまに中に納められていたり離れていたり、見つけるのに苦労することもあります。この板絵自体は古いものではなく、秩父の提灯屋のおかみさん、浅賀三千子さんが1988年から25年かけて描き、三十四箇所すべてに奉納されたものです。額の下には「三千女」の銘が入っています。

この絵のもとになっているのは、江戸時代に出版された浮世絵シリーズ、西国・坂東・秩父の計百か所の「観音霊験記」です。安政5年(1858)から各札所一枚ずつ順次発行されました。二代目広重(有名なのは初代)・三代目豊国(国貞)が絵を描き、戯作者の万亭応賀(まんていおうが)が文章を入れ、各札所にちなむ霊験話をシリーズにまとめ、巡礼ガイドブックとしての需要にも合いヒット作となったそうです。

itae04-rgk

「三千女」の額には要約しか書いてありませんが、もとの霊験記のエピソードを見るとより詳しくわかります。上の絵は四番札所金昌寺のものです。男が女をひしゃくで滅多打ちにしています。DV夫婦にも見えますが、男は門前に住む荒木丹下という乱暴な偏屈者で、坊主も巡礼も大嫌いでした。そこに運悪く女巡礼が食べ物の恵みを丹下に懇願したところ、怒って女を殴り始めました。散々打たれながらも女はひるまず、理詰めで男の屁理屈に反撃し、ついには丹下を観音様に帰依させることになります。どちらも関わりたくない人々です。

itae24-2

札所二十四番法泉寺の絵です。恋ヶ窪の遊女、口中の病に悩まされていたが、秩父の僧からいただいた白山の観音の楊枝を使って口を漱いだところたちまち癒えた、という霊験記です。この寺はその白山の観音を勧請したものです。遊女の口中の病状も気になります。

恋ヶ窪(こいがくぼ)の地名は古くからありました。鎌倉街道の宿場として、遊女も存在していたようです。いまは東京都国分寺市で、この名の西武鉄道の駅があります。実は私の住んでいるところと結構近いです。今、西武鉄道で「駅イメージモデル選手権」というのをやっています。所沢、西武秩父、小手指(こてさし)、本川越といった駅名に、応募した女子大生から毎月一人ずつ選んで割り当てていくという企画ですが、多摩・埼玉の地名の抜きがたい場末の風情に、毎日西武線に乗る私が見ても、誰得?な感じです。

koigakubo

次は三十三番札所菊水寺の絵です。

itae33

楠木正成(くすのきまさしげ)の家紋は「菊水」です。菊水寺の寺紋ももちろん菊水です。

kikusui

この縁で日ごろ正成は遠く畿内から秩父の菊水寺を遥拝し武運を祈っていました。ある戦で脱出作戦中、敵に見つかり射かけられたが、常に携行していた観音経に矢が当たり命を救われたと、お経を広げ感に入っている図です。でも正成は秩父に来たことはないようで、「菊水つながり」でひとネタ作った感じです。

kikusuiji

この菊水寺は永禄12年(1569)、武田信玄の軍に観音堂を焼かれる事態に見舞われました。

<つづく>

【最近読んだ本】

「ニッポン景観論」 集英社新書  アレックス・カー

「ゾーニング(地域別の建築規制)と景観配慮のなさ、町へのプライドの低さ、無秩序な開発奇抜なハコモノの増加、硬直した建築規制のおかげで、日本はどの町も混沌とした状態で発展してしまいました。」と嘆きます。ヴェネツィアの運河を埋めてアスファルトで舗装し、パリのノートルダム寺院に「開運ご利益」の横断幕を掲げ、ダヴィデ像の前に「世界遺産」・HITACHIの看板と、「彫刻に触れてはいけません」の警告を立てるようなことをやっていると、イメージ写真を創作して教えてくれます。「醜悪な建築」「邪魔な工業物」「過剰な看板」の氾濫を戒め、21世紀の日本は「観光」こそが主要産業のはずという、日本在住イギリス人のビジュアル批評です。

 

 


What do you think?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.