何を食べていたのか?

By kakizaki, 2014年11月14日


長野県といえば、リンゴと味噌が有名ですが、幸村が生きた時代、人々は何を食べていたのでしょうか?

味噌は古くから日本にありました。醤油は江戸時代に入ってからだったと思います。米は当然ありました。山国の長野県でもありました。幸村の地元は、真田とか上田とか塩田とか「田」の付く地名が多いことを見てもわかるように、山国とはいえ米はありました。司馬遼太郎氏の小説『風神の門』では九度山で幸村が鹿狩りを行なう様子が描かれていますが、鹿など山の獣類を捕獲し食べていたのも間違いないと思います。山菜や川魚、蜂の子(長野県ならでは?)なども食べていたでしょう。
ソバはどうでしょうか?長野県は今でこそソバで有名ですが、当時はたとえあったとしてもソバがきにして食べるぐらいだったと思います。ソバ切りが登場するのは確か江戸後期の江戸においてだったはずですから。現代でも宮崎県の山村でソバを栽培し、ソバ切りにはしないでソバがきにして食べるところがありますが、それと同じ感じだったのではないでしょうか。

それにしても、鹿や猪や雉なんかを食べて、動物性タンパク質を摂取して精力をつけていたのでしょうね。江戸時代になると獣肉を食べることが忌み嫌われるようになりますが、幸村の時代までは大いに食べて、筋肉モリモリだっただろうと思います。
九度山に9年もの長い間幽閉されていたので、身体はモヤシのようになっていたと思ったら、それどころかポパイのように筋肉隆々だった可能性が高いといえそうです。
幽閉中に父・昌幸が亡くなり、普通の人なら意気消沈して再び大合戦に挑むなどとてもできないところですが、幸村は再び起ち上がった。それを支えたのは栄養満点の食生活だったかもしれません。肉パワー、恐るべし!といったところでしょうか。

ところで、幸村の時代、ウナギも食べていたようですね。今のように開いてタレをつけて焼くのではなく(そういう食べ方は江戸時代後期からですね)、ブツ切りにして焼いていたようです。きっと塩を振りかけて焼き魚の感覚で食べたのでしょう。当時、京都、大坂を流れる宇治川でもウナギは捕れて、「宇治丸」という名前だったといいますが、信州では何と呼んでいたのでしょうか?真田氏の居城の上田城の近くを流れる千曲川でもウナギは捕れたはずですから(今も捕れます)、「○○、うまいな!」と言いつつ、幸村もウナギを食べていたのではないでしょうか。
肉パワーに加えてウナギ・パワーもあったんですね。

※リンクページはWikipediaを利用しています。


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